「ことゼミ日記」は,学生たちの,ことゼミの中で,あるいは外でのいろいろな気づき,発見,思いなどがちょっと綴られます。
アーカイブはなく,「更新されていくごとになくなっていく日記」です。再掲するかもしれませんが,基本的にそのときだけ。
大学生を生きていく中の気持ちの断片,ひとひらの切片として――お読みください。


こんなわたしも、たのしく生きること

ことゼミ6期の活動テーマは、「ACの公共広告を作る」。
その過程は、公共と、自分と、向き合うことだった。

「公共とは何か」とかいうのはすごく難しい。公共?広い。でかい。だめだ、めんどくさくなってきた。私のめんどくさがりが出ちゃった。でもそうやって放置できない、したくないのが公共だから困った。どうせ暇なんだ、考えちゃうか~!

私がぱっと思いついた「公共」……それは、学校だった。特に、義務教育。小学校でも中学校でも、みんなで仲良く、楽しく、きまりを守って、助け合って生活するように教えられてきたし、私もそうあるべきだと思って生きてきた。そのためにはがまんもする。授業が始まったら席に座っておとなしくする。そうしないと叱られる。泣いちゃいけない。急に怒っちゃいけない。今は絵を描きたい気分だけど国語だから国語の準備をする。外の様子が気になる。花が綺麗。遊びたい。授業が楽しい。このまま次の時間も理科がいい。ひとりひとりがいろんなことを思って、でもそれを抑えて、みんなで同じことをする。そうしないと、みんなの迷惑になる。みんなで、みんなのためにそうするの。……あれ、「みんな」ってなんだ?みんなって、みんなだよ、ほらこのクラスにいるみんな……ちょっと待て、「わたし」は?「わたし」はどこ?「わたし」も、「みんな」では?隣の席のこの子も、仲の悪いあの子も。休みがちなあの子も、走るのが速いあの子も、「わたし」では?

「公私混同」ということばがあるけれども、そもそも「公」と「私」は分離していないと思う。だから「公私混同」ということばには違和感を感じる。そもそもなんか変なことばだと思うのだ。「公共の場」は、いろんな「私」たちをぐちゃぐちゃに混ぜる場所だと思う。「公」の中で、たくさんの「私」がいきいきしてうごめいているイメージ。いろんな人がぶち込まれて、たまに溶け合っている場所。

私の実家のすぐ近くには公園があった。鬼ごっこをしたり、四葉のクローバーを探したり、花かんむりを作ったり、遊具で遊んだり、ジャングルジムを秘密基地に見立てたり…それぞれにいろんなことをしていたし、今書いたことは私も全部やった。あと鉄棒の練習もした。ぶたのまるやきと前回りとこうもりはできるようになったけど、逆上がりはできるようにならなかった。友達のお父さんはベンチで寝ていて、顔にアリがのぼっていた。同じ場所にいるけどやっていることは違う。全然違うことをしているけどみんなお互いがいることをそのまま受け入れていて、そのまま別なことをし続ける。その一方で確実に影響を受けているのも事実で、たまに鬼ごっこに混ざったり、「あの子は元気だな」とか思ったりする。

高校の同級生で、私の大好きな友人が、「新宿がいちばん好きなんだよね。誰も干渉しないから」と言っていた。まじか。新宿こわいじゃん。治安が悪いよ。いろんな人いるし。ざわざわしてて。あーでも、この中で鼻歌歌ってても誰も気に留めなさそうだな。今、踊り出してもなんとかなりそう。あれ……新宿という街、もしかして、「やさしい」のでは?わかりやすく服で考えてみる。もし地元の家の周りを、キラキラひらひらの真っ赤なドレスで歩いていたら、たぶんすごい目で見られて噂になる。もし銀座を部屋着そのままノーメイクで歩いていたらたぶんだいぶ浮く。でも、新宿だったら、どっちの人もいるんじゃないか。たとえ、もしそれがそれぞれの価値観において非常識だと感じられるものでも、「まあそういうもんだよな」と受け入れちゃう感じ。わかりませんか。私はすごくそう思うんです。

今書いていたら、不干渉には二種類あるかもと気づいた。一つは「うわあ近寄らないでおこ」という、避ける感じ。特異なものとして排除することに近い。もう一つは「まあそういうもんだよな」という寛容さ。特異なものとしてではなく、そこにあって当たり前のものになっていることが前提。後者の不干渉が、新宿にはあるのではないか。干渉しないのは冷たいようだけど、それはひとつの受け入れる方法。そうやって受け入れて、無意識に存在を認め合って、溶け合って、一つの新宿の姿が出来上がる。多様性とか、共に生きることを考えるときに、結構重要なんじゃないかなと思った。教育の場でほったらかしにすることについては、まだまだもっともっと、いろんな視点でちゃんと考えなきゃいけないと思うけど。

そんな風に友人の話を聞いて新宿のやさしさにハッとしていたら、『BRUTUS』という雑誌の「やさしい気持ち。」特集にも「新宿は、やさしい。」というページがあった。私の友人、すごい。私が雑誌を読んでやっと感じること、彼はもうすでに感じ取っていた。すごいなあほんとに。こうやっていろんな話聞いて、自分の見える世界って広がるんですね。ありがとうともだち。新宿にはサラリーマンも学生もご飯食べにきた人もホームレスもキャバ嬢もホストもバンドマンも警察もショップ店員もカフェ店員もいる。今日は学生だけど明日はバンドマンって人もいるだろう。駅から出た片方は高層ビルなのに、反対は眠らない歌舞伎町。新宿はでかい公園なのかもしれない。学校をでかい公園みたいにするにはどうしたらいいのかな。みんなが、わたしを大切にしながら、ともに生きていくことができる場所にするには、どうしたら。学校にいる時間は、単なる「社会に出るための準備期間」じゃないと思うから。みんな生きているから。学校に通っている間だって人生なんだから。こういうことをこれからもずっと考えるんだ。

考えてたら、めんどくさくなくなってきた。とりかかるまではめんどうだけど、やり始めたら夢中になれるタイプ!こんなわたしも、たのしく生きていきたい!そんな場所をつくっちゃお~!

(細野花莉)