2020/6/26 性の表現


はじめに

6月26日のゼミでは「性の表現」について考えました。新入生二人の持ち込み企画です。「女子力」「夫婦の呼び方」「役割語」「女言葉・男言葉」「男性名詞・女性名詞」「日本語教科書にみられる表現」「女らしさ」と幅広いトピックが立てられていたため、性と言葉について考えが広がり、様々な視点を得ることができました。その一方で、「もうちょっと掘り下げたい!」という部分もでてきました。今回のゼミで考えたことや感じたことを、西尾と滝澤がそれぞれ書いてみたいと思います。

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ゼミ当日に使用したオンラインホワイトボードの様子

ことばが生み出したジェンダー

社会にいつの間にか根付いてしまった、「男/女はこうあるべき」という概念はどこから生まれたのでしょうか。その概念を覆すべく、フェミニズムやセクシュアルマイノリティの保護を目指した活動が近年活発化しています。

思想はことばによって定義づけられ、またことばは文化を生み出します。「女子力」って何?「漢気」って?6月26日、「ことばの教育ゼミ」では「ことば×性の表現」と題し、ことばと性の表現の関係について迫っていきました。メインクエスチョンである『「男/女はこうあるべき」という概念の根底にある「女」とは?「男」とは?』のほか、7つものトピックが立てられました。この記事で主として扱いたいのは、それらのトピックの一つ、「男性名詞・女性名詞」です。

2020年5月、フランス語の「COVID(新型コロナウイルス)」が女性名詞の仲間入りを果たしました。日本語しか話せない私にとってはピンとこないのですが、フランス語には「男性名詞」「女性名詞」の分類があります。なんと、フランス語のみならず多くの欧米の言語ではことばに性が授けられているそうです。

聞くと、英語の”he“や”she”のように、男性/女性を限定的に指すことばでもないし、男性/女性のみが使用できるといったことばでもないのです。ではなぜ男性と女性の二つの性で分類されているのか?この区分けはいつから?ただの文法上のルールならば、性で区切らずとも他の呼び名でよいのではないか?様々な疑問がゼミ内であがりました。これは、ことばに性を持たない文化圏ならではの考えなのではないでしょうか。ただ、客観の域を越えられないのも事実であり、「フランス語話者に直接聞いてみたい」という意見もありました。

ここで私が注目したいのが、「性の区分け」です。LGBTQへの理解が社会全体で深まり、また性別のみならず様々な面で多様化が進む今日において、男性名詞/女性名詞のように二分化するのは、いささか時代遅れのように思えてしまいます。その区分けが”単なる名称“として生活の中に居座り、当たり前と捉えられることで、自分の居場所が分からなくなったり息苦しさを覚えたりする人は一定数いるのではないでしょうか。

概念が名称ということばで区分され、人々に用いられる過程で文化として浸透する——性の多様性という観点からこれを見たとき、出来上がった現存の文化の大多数が負の遺産であると感じるのは私だけでしょうか。生物学的な性別を示す”sex”ではなく、社会的・文化的に形成される性別である”gender”。作られた「男らしさ」「女らしさ」の文化を覆すのは、奇しくもまた新たな「ことば」が現れるときなのでしょうか。

 6月26日の活動で、ことゼミでは「ことばでの表現」という角度からジェンダーについて探ることができました。これは、元々ジェンダー論に興味があった私にとって大きな財産です。( 西尾優希 )

「あたりまえ」の表現を疑う

今回挙がったトピックの中で、私が興味を持ったのは夫婦の呼び方でした。

このトピックの中では「男女平等が叫ばれている現在であるが、未だに無意識に不平等の残ることばを使っているのではないか?」という問いがあげられました。普段、何気なく使っていますが、夫婦の呼び方には、主人や家内など、夫婦の中では男性の立場が上で、女性は家の中のことをしているというような、家父長制を感じる表現が未だに残っています。

しかし、現在、このような夫婦の呼び方を使う人の中に、その言葉が本来持っていた意味やニュアンスで使っている人はほとんどいないと思います。あるゼミ員の意見には「いわゆる死んだメタファーってやつですよね。その差別的な含みを誰も感じないとしたら、どうなんでしょうね。」ともありました。死んだメタファーとは、使用が一般化され、もはや比喩としての意味はなくなり、主人=夫、家内=妻以上の意味は持たなくなってしまうということです。確かに、「夫婦の呼び方」と検索すると、言葉そのものの意味よりも、社会マナーとして、他人の前でなんと呼ぶのが相応しいかという話題が多く出てきます。

その一方で、「私の母は主人って使わないようにしてる」という意見もありました。先ほどから、家内という呼び方を例に挙げていますが、実際に家内という呼び方は、若い世代の夫婦ではあまり使われなくなってきているようです。共働きがあたりまえになり、女性は家の中という考え自体が見直されたからかもしれません。また、現代では性や愛の形の多様性が認められつつあります。そのことを考えると、夫婦間の呼び方だけでなく、そもそも夫婦という言葉自体が、異性愛を前提としていて多様性に対応できていないなとも感じます。

死んだメタファーと化してしまい、もはや差別的な含みを現代の多くの人が感じないとしても、その言葉がもともと持っていた意味やその背景にあった社会構造や差別意識を知ることは、重要であると思います。その上で、これからどのような言葉を使っていくべきか考えるべきではないでしょうか。ジェンダー平等や性の多様性の観点から、最近では性別等に関係なく使える、家人、パートナー、伴侶、相方という呼び方を使う人もいるようです。もちろん、呼び方は個人の自由で、強制する/されるものではないと思います。しかし、あえて「あたりまえ」を疑って、よりニュートラルな表現を探ることは、誰かを排除しない、多様性を認め合う社会をつくる上で重要であると思うのです。(滝澤美緒)

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